「――−かさま、おかーさま!」

「アン…どうしたの」

ゆっくりと、微睡から目を覚ます。
偏頭痛から寝込んでいた俺を起こしたのはアンことアンリエット、僕の娘だった。
「おじさまが一緒にお出かけしてくれないの!だからおかーさまを誘いに来たのよ!」
「そっか、じゃあ『お父様』とお出かけしようか?」
「おとーさま…?」
アンがその僕ゆずりの紫の瞳をくるりまわした。
僕は痛む頭を押さえながらなんとかアンに言い聞かせる。
「そうだよアン、外では僕のことをお父様と呼びこと。そうじゃないと変だからね」
「えー…でもおかーさまはおかーさまよ?」
アンは思った通り不満そうだ。
「『お父様』。じゃないとお出掛けはできないな」
「うー…わかったわおとーさま!」
うなりながらもなんとか納得してくれたアン。
「じゃあお着換えしていこうか?」
「ええ、おとーさま!アンのお洋服一緒に選んでね!」
そういいながら自慢げな顔で片手を差し出してくる彼によく似た白金の髪をもつ女の子がいた。
「お姫様、どうか僕にエスコートをさせてもらえますか?」
「ええ、よくってよ」
エスコートがされるのが好きなのはきっと僕に似たのだろう。アンは満足げな顔をしながら僕の手を握ったのだ。

                     ――

「アンね、このワンピースとこっちのスカート、どっちも欲しいの!」
「わかったよ。どっちも可愛いね」
アンがお出掛けしたい用件とは服を買いたかったらしい。定期的に屋敷に仕立て屋を呼んでいたがやはり男親ではわからない不自由があったのではないかと不安になる。
「…アン、お洋服が足りなかった?」
「ううん!おとーさまがお元気じゃないから、お洋服で元気にしてあげようと思ったの」
そしてアンが話した内容に僕は恥ずかしくなってしまった。最近昔の夢を見る、そのせいで落ち込んでいるのをこの女の子はすっかり見抜いていたらしい。
自分なりの方法で励まそうとしてくれた可愛い娘に僕は感極まって抱き着いてしまう。そうするとアンは嬉しそうにわらうのだ。
「おかーさま!」
「お父様、だよ」
…本当に、可愛くて大切な子だ。
彼女の白金の髪に指をからませてぐしゃぐしゃにすると彼女は怒ってしまったけれど、そのあとホットチョコレートを買ってあげるとすっかり機嫌を直してしまった。

「ほかに欲しいものはない?」
「うーん、お菓子がほしいなぁ…」
「どこのお菓子がいいの?」
そうするとアンは綺麗な発音でお店の名前を言った。いつもは舌っ足らずなクセにこういうところはしっかりしている可愛いお姫様。

「――あッ!」

「どうし――!」
「わんちゃんだ!」
そうしてアンが道路に飛び出していくのをどうして止められなかったのだろう。
向かいの道にいる大きな白い犬に駆け寄ろうとしたアンを引き留めようと走り出したときにはアンは道路の真ん中にいてもう車が来ていた。
自分でもこんな怖い声がでたのか思うぐらいの声。びっくりしたアンがこちらを見て目の前で急ブレーキを踏む車を見て瞬時に怯えた顔をするのがやけにゆっくり感じた。
アンの背中を押して、彼女が盛大に歩道へ転がっていくのをみえた。可哀想に、痛いだろう。

――そして、衝撃

暗くなっていく視界のなか、右手に持っていた洋服の袋が真っ赤に染まっていくを見て、僕はアンに悪いことをしたなぁとぼんやり考えていた。

                        ――

「ぅ……」
重い、痛い。
目を開けると白い天井。よくわからないがベットに寝ているみたい。
不快な感覚とふわふわした感じ、よく回らない頭で身体を動かそうとすると…

「…おかーさま!」

愛しい、可愛い子の声がした。
細いソプラノの主はその白金の髪をなびかせながら僕の側に来た。
「おかーさま……」
「お父様、でしょ?」
瞬間、いつもじゃ考えられないくらい大きな声で泣き出してしまった。
みっともないぐらいくしゃくしゃの顔。
できることなら抱きしめてあげたいけど体が動かないなぁ、なんて思いながらなんとかその女の子を、アンを慰めようと声をかけてると外から足音がした。
「アンッ、どうし――!」
そこに現れたのは僕の兄、ルノーアだった。
僕より濃く、ブルネットに近い髪の毛に黒に近い紫の瞳は凛々しい。僕より数段も男っぽくて5年前に泣きながら帰ってきた馬鹿な弟を受け入れてくれた優しい兄。
「…ユリシア、大丈夫か?」
なんとも間抜けな問に僕は笑ってしまった。ああ、笑うとおなか痛い。
「これで大丈夫に見えたら老眼鏡でも買ったほうがいいと思うよ兄さん?」
「…頭は大丈夫そうだな。とにかく、医者を呼んでくる。」
去っていく兄、そうしてさらに泣きながら僕に抱き着くアン。
「こら、アン。それ以上泣くと瞳が溶けちゃうよ」
「おかーさまぁ!」
まったく、可愛い子だ。


「右足の骨折と頭部への打撃と切り傷、ほかには…奇跡的にないですね」
ああだから足は吊るされてるわ頭はグルグル巻きだわこんな状態なワケか。
「一応大切なところを打ってますから2週間は入院して様子をみてくださいね」
白衣を着た医者はそう言って詳しい話を兄とするためか病室を出て行った。
「アン、そろそろ泣き止みなさい」
「だって、だってぇ…」
ぐすぐす、と顔をハンカチで拭いながら僕に抱き着いてくる。
「それよりアンも怪我をしたんじゃないの?大丈夫?」
「アンはね、アザができちゃった…でも、痛くないよ!」
そういいながら袖をまくって見せてきた腕には痛々しい痣があった。
「…痛かっただろう?」
「おかーさまのほうが痛そうよ」
「『お父様』だって」
でも、跡が残るような怪我はなくてよかった。

「――それよりアン、この部屋はどうしたの?」

そう、目が覚めて頭が回り始めた時から気になっていた。部屋中に色とりどりの花が飾ってあるのだ。こんなにお見舞いをされるほどの友達も家族もいない。
「おじさまは捨ててしまおうとしていたんだけど、アンがダメって言ったのよ!」
アンの言う『おじさま』とはもちろん兄のことだ。
それにしても、誰が――
「おとーさま、ちょっとまっててね」
ベットから降りたと思いきやアンはお出かけの際にはいつも持ち歩いてる白いバックから一枚の封筒をとりだした。
「はい、おとーさま!」
――嫌な、思い出がよみがえる
クリーム色の上質な封筒、彼がよく使っていたソレにそっくり。
アンも中身が気になるのかわくわくした顔を隠さずベットの上に座る。
震える指先で、封筒の中からカードをとりだす。

『必ず迎えに行く M』

それだけ、その一言とそのイニシャルで僕はすべてがわかって吐きそうになってしまった。
「おとーさま?」
「アン…これ、どうしたの」
「おじさまが捨てているの、貰ったの」
アンの言う貰ったとはつまりゴミ箱の中からでも拾ったのだろうが。
だけど…
「おとうさま…」
僕の険しい表情をみたアンは怯えるように僕のパジャマの裾をつかんだ。
「大丈夫だよ、アン…僕は君を手放したりしないから」
指先で、その憎い綺麗な文字を破く。
たとえ彼がアンの存在を知って僕から引き離そうとしても、それは絶対にさせない。彼には、絶対に――

                     ――

「ユリシア、じゃあアンを頼む」
「いってらっしゃい兄さん」
目が覚めて3日後には体は自由に動けるし切り傷もふさがってきてあとは軽度の骨折だけとなった。そしてほとんど僕の病室に住んでいるようなアンと兄さん。今日は兄さんは学会があるとかでアンと僕をおいて数日間いなくなる。
兄さんが居なくなるとワイン色のベルベットのワンピースに白いタイツ、黒いブーツという装いのアンは僕に本を読むようねだりに来た。
「おとーさま、一緒に紅茶も飲みたいわ」
「はいはい」
骨折していても動けないわけじゃないのでアンのわがままなお願いを聞いてあげる。
大好きなアップルティーをいれてあげるとアンは嬉しそうだった。
「じゃあ本を読んであげよう。昔々あるところに――」

――トントン

病室がノックされた。兄さんが忘れものでもしたのだろうか。
「どう――」
僕が言い終わる前に、扉は開かれた。
そして、世界で一番会いたくない男がいたのだ。



「おとーさま?このひとだあれ」
「…アン、隣の部屋に行ってなさい」
僕の、怖い声に驚いたのかアンはホント紅茶をもって静かに隣の部屋へいった。

「アレが、アンリエットか?」
「…何しに来たの」

なんて、ありふれた言葉だろう。だけど、それしか言えない。

「なかなかの美人だ…母親に似たな。髪は私で瞳はユリシアか」

男は続けた。

「さあもう気が済んだか?そろそろ帰ってきなさい」
「――ふざけるなッ!」

その男のアイスブルーの瞳はびくともしなかった。
なんで、いまさら
「お前は私のものだ。私の手元にいるのが一番ふさわしい」
「僕は貴方のものじゃない…!」
その傲慢さに、僕はどれだけ傷つけられてきたことだろう。
「私がお前を一番愛せるし一番大切にできる…それがまだこの五年間でわからなかったのか?」
「…愛してるなら、なんで、なんで……」
――なんで、浮気なんかしたの?
なんで僕以外に愛をささやいて僕以外とキスをしたの。なんで逃げた僕を追ってきてくれなかったんだ。
「…すべて、お前のためだ」
にがい顔で、そういう彼に忘れようとしていた怒りが募る。
「僕以外の人間と寝ることが僕のためだというのなら、それはとんだ勘違いだね」
「――可愛くないことを」
そうだ今の僕はもう23で貴方に依存していた少年じゃない。可愛くも可憐でもない。そして、貴方のモノじゃない。
「さあ帰るぞ、アレは後から連れてくればいい。とりあえずお前だけで――」
「本当に、言ってるの?」
可愛いアンをアレ呼ばわりする人間に、僕を捨てた人間に、ついていくとでも思ってるんだろうか。
「私は嘘は言わないが」

「貴方なんて死んでしまえばいい」

お願いだから、消えて。
僕の言葉に少しだけあの瞳が揺らいだ。だがすぐ元に戻る。
言葉で話すのをやめたのか僕を昔みたいに抱き上げて連れて行こうとする男に僕は必至で抵抗して罵る。
「この誘拐犯ッ、変質者ッ、浮気者ッ、この――!」
「静かに」
懐かしい口癖に僕はつい条件反射で黙りそうになるがすぐ口を開いて罵る。
「離せッ!」
「お前がおとなしくついてく――ッ!」

「おとーさまを離して!」

そういって彼の足に蹴りを入れたのは隣の部屋から飛び出してきた可愛いアンだった。
「…足癖が悪い。本邸に連れて帰ったら躾なおさないと」
「このゆーかいはんッ!」
両手を使って必死で男を殴るアン、だが残念なことに何一つとして効いてない。
「…もしかして父親の顔も教えてないのか」
「誰が貴方のことなんて教えるものかッ!」
僕が顔写真でもみせて夜に思い出でも語っているとでも思っているのだろうか。
そしてなんとか足をとめた男の顔に一発、いれる。
腕が緩んだ瞬間に打撲覚悟で床に落ちる。
「いっだぁッ!」
「おとーさま!」
アンは泣きそうな顔で僕に駆け寄る。最近、彼女を泣かせてばっかりだ。

「…そんなに、私が嫌か」
「死んでほしいくらいには」

そう言って睨みつけるが男は無表情のままだった。

「――私はお前を甘やかして犯して何も考えられなくして一生世話を見て閉じ込めておきたいぐらいの感情は持っているが……」

「僕は貴方の顔すら見たくない。だから経済新聞もゴシップ誌も読まないぐらいにね」

男は鼻で笑う。

「じゃあお前が読んでいる小説にでも登場できるようにしておこう」
「冗談キツすぎ」
「…随分、口が悪くなったな。お前も躾が必要だ」

そうすると意外なことに男は背を向けた。そして――

「また明日会いに来る」
「そのころには退院しておくから!」

病室のドアが嫌味に反応することもなく閉じる。

「おとーさまぁ……」
「大丈夫だよ、アン。大丈夫……」
アンに言い聞かせるように、なにより自分に言い聞かせるように、僕は何度も大丈夫といった。

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